samisiusagi1919’s blog

タオとゼンの智慧☆わたしが元気なのが社会貢献とおもっているひとのブログです^^

していて、うれしくなること

わたしは、


かねてから つくりだすことに

魅力をかんじていました。



既製品や加工品は


均整のとれた きれいさは

あるのですが


やはり、素材と真正面から

むきあってつくる緊張感には

かなわないというのが

わたしのかんがえだからです。



なんども試行錯誤をくりかえし

ここだ!の足しすぎず引きすぎずの

絶妙なハーモニーを

織り成すよろこびは ひとしおで

言葉になりません。


また、そんなおり

わたしのセッションも

かわりはじめてきました。


(いまのながれから どう導かれるか

そのために、今からなにをしていくか)


(それが一番振動数をかえる

てっとり早い方法です)


こちらに

フォーカスした形態となりました。

いろをかえる

しばらく、あたためていました。


どうあらわそうか なにをしたいか

えらぶため 時間を必要としました。



直し屋 でもなく

カウンセラー でもなく


ほんとうは、なにがしたかったのかー、、


 






一番の核心的だった

きっかけは、ずっと前でしたが



はじまりは、6年前にある体験をしました。

そこからでした。




その(あること)から、


すべてのひとには


あらかじめ きめられたプログラムがあり

それを、宿命や天命(寿命)といわれる


(かえられないこと)により

きまりきってるとおもいました。



そして、誰ひとり例外なく

その(ながれのなか)に在るので





それを ときに


ゆらぎ幅の運命といわれる

えらびにより いろどられ


さまざまなカタチ や


カルマ(したことの結果)から

現象(三次元の現実)にあらわれてくる



そう、かんじていました。





ただ、例外のように


四次元の現実化直前のエネルギーが

そう なっていても


そこから、えらんで


みんながみんな

よわめたり 拡散したりもできるのです。





また、あるときは



ある条件とタイミングさえそろうなら



五次元のチカラにみちびかれ


かえることも

できるのだとわかりました。





それを、わたしが自分でわかるために

たくさんの きづきがありました。






そうして、そんななかで 


ずっと、わたしの中で くすぶっていた


まわりとのズレが

はっきりしていきました。



それは、、


わたしの、あんまり先入観をもたないところでした。





けれども、ひとは


体験や経験をしたことがないもの

みたことないものに対し


いいようのない

こわさ ふあん をかんじ



みんながみんなのなかにもっている


絶対的なプログラムに組み込まれたものを


そとがわの ネガティヴやマイナスに

つよく 感応することで



きりはなしたり

きめつけていくものなのだとも

わかりました。









そこを 足場にして



わたしならではの かたちで

あらわしたいとおもい

はじめたことがあります

きめる、ということ

まえに、いやなおもいしたから

ああはなりたくないから


いやにおもう 体験経験を

さけようとしてしまうことが

あるとおもいます


だけど、それじゃあ

マイナスを必要としてしまうと

かんがえます




する、ときめるというのは


ワクワクしたり 

しあわせすぎて ゾクゾク


そこだけを 描いていく こと





いや のその先をみつめ


ほんとうはどうしたかったか、を

しっていく


ほんとのキモチ、を

みつけていく








魅力的にかんじるのは

わたしが、わたしらしく

在るからなんだよね^^


おもしろいとおもうとき

おしえるなら 

こうせねばならない


おそわるなら

こうあるべきでなければならない





かたち にあわせようとすると


急につまんなくなる





かたくなってきたり


その こしらえた型にあわないなら

あれこれ 批判的になり

ジャッジしていく




うまくしよう より


わたしがよろこびを

かんじるように する


わたしらしく

いきいきしてる

そのありようが


ステキなんだよね^^

わかったこと

あんなに、だれかに


わかってほしくなった日も

あったはずなのに


わたしが

わかりさえすれば


いつの間にか

平気になっていました











それは、


わたしの感性が

まわりとちがっていたときに

よく感じていたことです




わたしが ヘンなのかなぁとか

ダメなんじゃないかなぁと



ダメ出ししちゃうときもありました



けれど、


ダメ出ししちゃう

いまのわたしさえ


まるっと わかることできたから


外の評価より


わたしの感性を信じることが

だんだんと

できるようになってきました


だって、わたしじゃないモノ

外の評価を優位にしてしまうなら


ふきげんで おもしろくなくなっていくのが


よくよーく、わかったから

なんですね^^

やりきるとき


自分がすきでしていることを




アンチから


バッシングをいわれたら


まあ、イヤな気持ちには

なりますよね。





だけど、そんなとき



すきで

あいしていることを


やめる、とおもうなら



それって

ほんとうには すきじゃなくて

どこか いいとこだけほしくなって

しまっているかもしれない。




ほんとうにすきなら

する、ときめたことなら





だれに なにをいわれても

おもわれても

されても




やめない、んですよね^^



そうするうちに


ファンもついてきたりして


アンチがいるのさえ

気にならなくなっちゃいます^^

外側からみえる評価におどらされるとツマラナイ


わたしは、こうする


きもちがすっきりすることをいう





だけど


いうときに

見た目良く

批判がつかないように



語弊なく完璧に。。。


言わねばならない だとね




おもくて、かたくて

急に つまらなくなってしまう



うれしいとき たまらなく

よろこびを感じるとき


わたしをあらわす こと

なんだよね^^




わたしをしると

わたしの魅せ方がわかるんだよね^^