samisiusagi1919’s blog

タオとゼンの智慧☆わたしが元気なのが社会貢献とおもっているひとのブログです^^

身動き取れないとき〓犠牲がいる

自由になる

なんでもえらべる


最近よくみかけるけれど


その裏側で


批判はだめ 敵対をつくるから

悪口はいけない 傷つくひとがいるから


こうやって 否定をしてしまい

条件つきにしているとき


ほんとうには 自由とはいえなくて


やり過ごす 駆け込み寺の役割のなにかや

みたくないものを みなくてすむ

なにかしらが 必要になってしまいます



ごほうびがなきゃ がんばれない とかも

ふくめて ですね

 




つまるところ 

打算や妥協 罪悪感から


まもりにはいると



たいせつだとかんじ まもる


自然からずれたとき


犠牲がいるようになってくるんです



そうやって 犠牲にしているとき



自分のこころを うらぎって

うそをついていくと


いまのまま いなきゃいけない

かんがえしか うまれなくなり



たとえば、なにかはじめるとき


あれが不安だとか

今のほうがマシとか


こっちからみたら あっちでいいとか


それからみたら

このほうがいいからーとか



とにかく もう


打算や妥協でしか


かんがえられなくなってしまい




もっと こうなりたい

ああしたら たのしい

やりがいを かんじる




していて よろこびをかんじる


このような


やりたいことに

まっすぐやれなくなってしまうんです